1990年以降に制定された諸国憲法の動向ーいくつかの項目との関連を中心に
                              (テキスト版)

                         『駒澤法学』創刊号より   *本稿は提出原稿であり、最終的に若干の修正がある。

                                                                             西 修


1.はじめに
 1990年以降に制定された憲法をその成立経緯から大きく分類すれば、以下のように指摘することができよう。
 まず第一に、社会主義憲法体制の崩壊にともなって新しく生まれた憲法群である。すなわち、1989年11月におけるベルリンの壁の瓦解に端を発した1991年夏のソ連邦解体は、世界の憲法地図を大きく塗り替えた。ソ連邦の解体は、14の独立国家を誕生させた*1。その影響を受けて、ユーゴスラビアでは、5つの共和国*2に分裂し、チェコスロバキアでも2つの共和国*3を生みだした。これら新装なった諸国の憲法は、いずれも従来の社会主義体制を放棄した。
 社会主義憲法体制からの逸脱という点では、アフリカ諸国にも影響がみられた。たとえば、ベナンの1979年憲法やエチオピアの1987年憲法は、マルクス・レーニン主義を標榜し、一党独裁制を明記していたが、ベナンの1990年12月の憲法も、エチオピアの1994年12月も、ともに多元的民主主義と複数党制を宣明している。
 もっとも、このような脱社会主義憲法体制の趨勢のなかで、1991年8月のラオス憲法と1992年4月のベトナム憲法は、社会主義を堅持し、一党支配体制をとることを明言している。ただし、これら両憲法にしても、市場経済の導入を明記し、旧来型の社会主義憲法体制そのものからの離脱をはかっている。
 第二に、国家の再生ないし民主化の結果として、多くの国では、新憲法の採択に踏み切ったことである。前者の典型を1993年のカンボジアと1997年の南アフリカなどに、また後者の典型をネパールの1990年憲法とレソトの1993年憲法などに見いだすことができる。
 第三に、旧植民地または共同統治領から独立し、それにともなって新憲法の制定が要請された国として、ナミビア、エリトリアおよびアンドラをあげることができる。ナミビアは1990年3月に南アフリカから、またエリトリアは1993年5月にエチオピアから独立し、それぞれ新憲法を作成した。アンドラはフランスとスペインの共同統治領として、フランスの大統領とスペインのウルヘル司教の共同元首(Co-Princes)によって統治されてきた。成典化憲法をもたず、伝統と慣習が大きな要素を占めてきた。1993年3月には住民投票が行われ、独立国家として主権を有することを宣言し、あわせて新憲法を制定した。もっとも、新憲法も共同元首制を維持し、「アンドラの制度的伝統にしたがい、共同元首は、共同かつ不可分に、国家元首の地位にあり、最高の代表権を有する。共同元首は、象徴であり、アンドラの永続性と継続性ならびにその独立、近隣諸国との伝統的に均衡のとれた関係において、対等の精神維持の保証人である」(同憲法44条)との特異な規定を残している*4。
 そして第四に、新興国家のみならず、民主主義の古い伝統を有するスイスとフィンランドでも、新しい憲法が制定された。これら両国の旧憲法は古く、スイスのそれは1874年のものである。しかし、同憲法はその後、頻繁に改正され、1999年までの125年間に140回にもおよんだ。また、フィンランドの旧憲法は、1919年の憲法法のほかに、国会法(1928年)、内閣責任法(1922年)、弾劾高等裁判所法(1922年)の4つの基本法から成り立っていた。これらの基本法もその後、多くの改正をうけた。
 こうして、両国において、従来の改正を統合し、あわせて時代に適合する新たな規定を導入すべく、スイスでは1999年4月に国民投票に付され、多数の賛成をえて、2000年1月1日より新憲法が施行されている。またフィンランドでは、旧来の4つの基本法をひとつにまとめあげ、1999年6月に大統領の署名をえて、新たな憲法が2000年3月1日より施行されている*5。
  以上、さまざまな経緯により、1990年以降に制定された新憲法は、82にのぼる。これらの諸憲法のうち、いわゆる新しい権利(環境権、プライバシー権、知る権利)、わが国憲法に規定のない「家庭の保護」、「政党条項」、「国民投票」、「憲法裁判所」、「非常事態対処規定」、そしてわが国憲法の基本的特色といわれている「平和主義」の規定様式などに焦点をあて、比較検討してみたい。

2.いわゆる新しい権利(環境権、プライバシー権、知る権利)について
 (1)環境の権利と保護 
 環境の保護が人間にとって不可欠の課題であると国際的に認識されたのは、1972年の国連人間環境会議においてである。同会議で発せられた「人間環境宣言」(会議が催された地にちなみ、「ストックホルム宣言」ともいわれている)には、「人は環境の創造物であると同時に、環境の形成者でもある。・・・いまやわれわれは、世界中で環境への影響にいっそうの思慮深い注意を払いながら、行動しなければならない。無知・無関心であるならば、われわれは、われわれの生命と福祉が依存する地球上の環境に対し、重大かつ取り返しのつかない害を与えることになる。」との一文がある。
 この宣言が発せられてから、30年を経ようとしている。われわれは、環境への影響について、思慮深い注意と行動をとってきただろうか。1997年12月の京都議定書で取り決められた二酸化炭素の削減目標は、アメリカの不参加表明により、その達成が危ぶまれてさえいる。
 ただ、この30年のあいだに多くの国では、憲法のなかに環境に関する条項を取り入れるようになってきている。これは、特筆すべき現象である。表でみるように、調査しえた81の憲法中、66か国(81.5%)の憲法においてなんらかの形で条文化されている。5か国に4か国以上の割合になる。
 大きく次のように類型化することができる。
 @抽象的に快適な環境で生活する国民の権利と設定している諸国 スロベニア、モンゴル、パラグアイ、チェコ、ギニア、ブルキナファソ*6など。
 A国民の権利であると同時に義務であると位置づけている諸国 ブルガリア、マリ、ロシア、ギニア、ブルキナファソなど。
 B国民の権利というよりも、むしろ国民に対して環境保護を義務としている諸国 ラオス、ベトナム、ウズベキスタンなど。
 C環境保護を国の義務ないし責務としている諸国 ネパール、クロアチア、トルクメニスタン、カンボジアなど。
 このほか、環境情報について国民に知る権利としている国(アルバニア、スロバキアなど)、自然の保護、生活環境の改善、水・空気汚染の防止、動植物の保存までを規定しているアフガニスタン、特別に「環境および国土計画」という一節(73条ー80条)をもうけて、水・森林・郷土の保全、漁労・狩猟・動物の保護など細かい規定をほどこしているスイスの例などがある。
 特記しておきたいのは、コロンビアの憲法である。同憲法は、第2部「権利、保障および義務について」の第3章に「集団的権利および環境について」(78条ー82条)を配している。そして、79条1項では、何人も健康な環境を享受する権利をもつことを定め、同条2項で環境の多様性を保護し、生態系上、重要な地域を保守し、これらの目的を達成するための教育強化を国家の義務としている。また80条では、国家は、持続可能な発展を保障するために天然資源の処理と仕様の計画づくりをすること、環境悪化の要因に注意を払わなければならないことなどを規定している。さらに81条には、次のような規定をもうけている。「化学兵器、生物兵器または核兵器の製造、持ち込み、所有および使用は、核および有毒廃棄物の国内への持ち込みと同様に、禁止される。」このように、核兵器の禁止を環境問題の一環として把握している点に同国憲法の大きな特色がある。後述するように、核兵器の禁止は、他の国の憲法にもみられるが、平和主義の一環としてとらえているところが多い。おそらくコロンビア憲法の規定は、前述の「人間環境宣言」26原則に影響を受けたものと思われる*7。
 以上のごとく、環境問題の重要さにかんがみ、多くの国では環境の保護を憲法事項であると考えられている。わが国では、憲法13条に包括されているから、あえて憲法事項にする必要がないとの見解があるが、環境問題のもたらす深刻さに思いをいたすべきであろう。

 (2)プライバシーの権利
 ここに「プライバシーの権利」とは、私事あるいは私生活上、他人に知られたくない権利をいう。単に消極的に「ひとりでほうっておいてもらう権利(right to be let alone)」のみならず、積極的に「自己の私事にかかわる情報をみずからコントロールする権利」を包含する意味でもちいられる。
 それゆえ、わが国憲法21条2項後段の「通信の秘密」より広い概念である。プライバシーの権利は、わが国憲法には直接に規定されておらず、13条の「幸福追求権」のなかに包摂される権利ととらえられているむきがある。
 このプライバシーの権利は、古くは1948年の世界人権宣言12条に規定された。同条は、次のようである。「何人も、自己の私事、家族、家庭もしくは通信に対して、ほしいままに干渉され、または名誉および信用に対して、攻撃を受けることはない。人はすべて、このような干渉または攻撃に対して、法の保護を受ける権利を有する。」
 この規定は、1966年の国際人権規約B規約、1969年の米州人権条約にも、ほとんど同一文章で継承された。そこでは、プライバシーの権利を単に公的行為のみならず、私人の行為からも保護しようとしているものとして、理解されている*8。
 世界の憲法をみると、おおよそ次のように類型化することができる。
 @多くは、世界人権宣言12条や国際人権規約B規約17条にみられるように、「自己の私事および家族生活のプライバシー」を保護している サントメプリンシペ、クロアチア、ルワンダ、ブルガリア、パラグアイなど。
 Aもっぱら保障の対象をプライバシーに対する権利(right to privacy)とのみ規定している諸国 モザンビーク、マラウィ、モルドバ、南アフリカ、フィジーなど。
 B個人の情報を保護するとともに、公機関の所有する自己の情報にアクセスする権利を認めている諸国 ロシア、タジキスタン、ウクライナ、アルバニア、ポーランドなど。
 このうち、ウクライナ憲法とポーランド憲法は、かなり詳しい規定をほどこしているので、以下に掲げることにしたい。
 ウクライナ憲法32条「何人も、ウクライナ憲法に定められている場合を除き、自己および家族生活の干渉に服することはない。
 自己の承諾なしに個人情報の収集、保管、使用および流布することは、認められない。ただし、法律で定められている場合、ならびに国の安全、福祉および人権の利益からする場合は、このかぎりではない。
 すべての市民は、法律で保護されている国家機密その他秘密とされていない自己の情報につき、国家権力、地方自治政府の諸機関において、検証する権利を有する。
 何人も、自己および家族の一員に関する誤った情報につき訂正する権利、ならびに誤った情報の収集、保管、使用および流布によってこうむった物質的、精神的損害につき請求する権利の法的保護を保障される。」
 ポーランド憲法47条「何人も、私事および家族生活、名誉および名声につき、法的保護を受ける権利、ならびに個人生活につき自己決定をする権利を有する。」
 同憲法51条「何人も、法律にもとづくのでなければ、自己に関する情報を開示する義務を負わない。
 公機関は、法により支配される民主的国家において必要とされる以外の市民についての情報を入手し、収集し、またはこれにアクセスさせてはならない。
 何人も、自己に関する公文書およびデータの収集にアクセスする権利を有する。このような権利に対する制限は、制定法で定めることができる。
 何人も、誤った情報もしくは不完全情報、または制定法に反する方法によって収集された情報の訂正もしくは削除を要求する権利を有する。
 情報の収集または情報に対するアクセスの原則および手続きは、制定法で定める。」
 ポーランド憲法47条が、「個人生活につき自己決定をする権利を有する」と規定している点は、注目されよう。
 
 (3) 知る権利
 ここに「知る権利」を「国民が公機関の得ている情報を取得する権利」ととらえることにする。表現の自由の前提として理解することができる。
 表現の自由とは、国民のだれもがみずからの思想・意見を外部に対して自由に表明することであるが、そのためには、必要な情報を獲得していなければならない。とくに近年、国家が肥大化し、情報が国家に集中する傾向がみられることから、国家の得ている情報を国民も共有することが求められる。「国民による政治」という民主主義の原則から、当然に引き出される原理である。
 それゆえ、「知る権利」は、広く表現の自由の一要素として、国家によって妨げられないこと(国家の不作為)を要求するとともに、国家に情報の開示を求めるという積極的な側面をあわせもつ。
 各国の憲法をみると、世界人権宣言19条および国際人権規約B規約19条の規定を受けて、@抽象的に情報(information)を取得し、伝える自由を保障している諸国(カザフスタン、アゼルバイジャン、グルジア、フィジー、マダガスカルなど)、A具体的に国家のもっている情報に自由にアクセスすることができる権利を保障している諸国(タイ、南アフリカ、ウガンダ、リトアニア、トルクメニスタンなど)がある。
 ほかにアルバニアでは、国家機関の行為のみならず、国家機能を行使する人物の行為についても情報を得る権利を国民に与えている。また、スロバキアでは、国家中央機関および地方行政機関に対して、合理的な方法でその活動について、情報を国民に提供しなければならないと義務づけている。

3.家庭の保護
 家庭ないし家族(いずれも英語はfamily)について、わが国憲法24条2項は、「家族に関する事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と定めているにすぎない。
 実は、1946年2月13日に提示された総司令部案には、「家庭は、人間社会の基礎であって、その伝統は、よきにつけ悪しきにつけ、国民に浸透する。」(23条)という規定があった。この文言は、しかしながら、日本側との交渉で、削除されることになった。「日本の法文の形になじまない」という日本側の主張が通ったからである*9。また、同年10月6日の貴族院本会議において、牧野英一議員より、24条1項に「家族生活はこれを尊重する」との追加案が提出されたが、賛成165票、反対135票で、可決に必要な3分の2の多数にはおよばず、否決された。
 国際的には、1948年の世界人権宣言16条5項に「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会および国家の保護を受ける権利を有する。」との規定があり、これを基調にしつつ、より発展させた規定が国際人権規約A規約10条、米州人権条約17条、ならびに1981年の「人および人権の権利に関するアフリカ憲章」(バンジュル憲章)18条1項に引き継がれている。
 各国憲法の規定方式ををみると、多くは、国際条約と同様、家庭を「社会の自然的かつ基礎的な集団単位」とみなし、「国家と社会によって、保護を受ける権利」のあるものと定めている(ブルンジ、中央アフリカ、ウガンダ、ルアンダ、アルメニアなど)が、カーボベルデ、ウズベキスタン、セイシェル、ニジェール、ベネズエラなどでは、「家庭の保護」に加えて、老齢者、身体障害者の保護も明記している*10。
 なお、パラグアイ憲法では、家族を次のように定義づけている。「家族とは、男と女、その子どもたちによる安定した結合体であって、また両親のいずれかがその子孫とともに形成する共同体」であると。
 わが国の平成12年度における家庭内暴力は、過去最高の1386件を記録した。「安定した結合体」の崩壊が顕著になってきているように思われる。国際条約および各国憲法と軌を一にして、「家庭」ないし「家族」の保護を憲法のなかに組み込むことが必要になってきているのではなかろうか。

4 政党条項  
 政党は、サリトールが「政治社会の自然な“チャンネルのシステム”と認識されるようになってきている」*11と述べているように、いまや全世界的に国家の統治システムの一部となっているといってよい。
 憲法が国家の統治システムを規律するという性格を有しているかぎり、政党を憲法のなかに組み込んでいくというのは、ある意味で当然の流れといえる。90年以降に制定され、調査可能国81か国の憲法のうち、76か国(約94%)の憲法で政党条項をそなえているという事実がこのことを如実に物語っている。
 政党条項を憲法に編入する場合、1949年のドイツ憲法21条と1958年のフランス憲法4条がサンプルとされているようだ。すなわち、これら両憲法の共通点として、@政党の設立は自由であること、A政党の役割を明記していること(ドイツ憲法は「国民の政治的意思の形成に協力すること」をあげ、フランス憲法は「選挙での意思表明に協力すること」をあげる)、B政党活動の規制を明示していること(この点、ドイツ憲法は独自で、政党の内部秩序の民主化、資金の明確化、自由で民主的な基本秩序を侵害したり、国家の存立を危うくするものでないことを要求している。フランス憲法は「国民主権と民主主義の原理を尊重しなければならない」と規定している)の3点を指摘することができる。
 多くの憲法も、これら3要件を付したうえで政党条項を導入しているが、具体的な規定様式は、それぞれの国柄を反映して、多様である。
 ただし、ひとつの顕著な特色がみられる。それは、社会主義憲法体制の崩壊を受けて、かつての社会主義から非社会主義へと変容した国家において、政治的多元性が強調されていることである。1993年のロシア憲法は、13条でイデオロギーの多様性を承認し、国家的または強制的イデオロギーを禁じるとともに、政治的多様性と多党制を承認することを定めた。また、1989年6月に東欧諸国で最初の非共産党内閣を生みだし、社会主義体制動揺の端緒を作ったポーランドでは、1997年の新憲法で、政党結成の自由、政党の目的(国家の政策の形成に民主的方法で影響を与える)、制約(自発性と平等の原則にもとづくこと)、義務(政党財政の公開)をうたい(11条)、かつ13条に次のような規定をおいている。
 「その綱領が全体主義的方法、ならびにナチズム、ファシズムおよび共産主義の行動様式にもとづいている政党その他の団体は、・・・禁じられる。」
 もっとも、そのような時代の流れにあって、既述のごとく、1991年のラオス憲法と1992年のベトナム憲法は、一党体制の堅持をうたっている。

5 国民投票
 ここで取り扱う国民投票は、憲法改正を除く立法や政策の策定にあたり、直接に国民の意見を聞くためのものを対象とする。本稿では、おもに日本国憲法にない規定を対象としており、憲法改正国民投票制は、同憲法の規定するところだからである。
 国民投票をいかに定義づけるか。大石義雄教授は、「一般国民が、特定の事項に関し、投票によって、国家意思の成立に直接に参加し、以て民主政治の目的を実現するための国民参加の一形式である。」と定義し*12、大西邦敏教授は、次のように定義する*13。「憲法上立法行為又は行政行為を惹起、阻止又は廃止する公民の国家意思表示である。」ともあれ、国家のなんらかの意思を決定するにあたって、国民の意思表示行為である。
 このような制度は、いかなる意義をもつか。バトラ−とラニーは、代表制民主主義の有用な補完物として意義づける*14。また大石教授は、国家最高機関相互の衝突を解決する点にも存在理由を見いだしている*15。さらに小林昭三教授は、素人(アマチチュア)の持ち味を活用するための制度と考えている*16。
 この国民投票制度は、近年とくに各国憲法に導入される傾向にある。マルック・スクシは、1989年現在の160か国の憲法を調査した結果、憲法改正に国民投票を求めている国が56か国、通常の立法にも国民投票制を導入している国が25か国、領土の併合・国境の変更などに国民投票を課している国が16か国、政策の決定に関連して国民投票に訴えることができるとしている国が35か国あると述べている。そして、この傾向は、1970年代中期から80年代末期にかけて増加していると指摘している*17。、
事実、90年代の諸国憲法をみても、約70%の国家の憲法に国民投票制度が取り入れられている。近年の顕著な傾向のひとつといえよう。
 各国憲法における国民投票を検討するにあたり、少なくとも次の視点が大切である。@どの機関が国民投票の実施を決定するか。A国民投票の対象に限定があるか。Bその結果は、最終的に国家機関を拘束するのか、あるいは諮問的なのか。
 まず国民投票の実施を決定する機関については、もっぱら大統領にゆだねている諸国(ギニア、ガボン、ジブチ、マリ、コートジボアールなど)、議会が主導権をにぎっている諸国(ブルガリア、スロベニア、エストニア、モンゴル、アルメニアなど)、一定数の国民にも与えている諸国(グルジョア・・2万人、アルバニア・・5万人、ウクライナ・・300万人)などがある。
 次に、多くの諸国では、憲法上、国民投票の対象を限定していないが、ペルーのように、憲法の全部または一部改正のほか、法律の効力を有する規則の承認、地方の条例、および分権の過程にかかわる事項を国民投票の対象と指定し、人権の抑圧または縮小、租税、予算または国際協約にかかわる事項を国民投票の対象にしてはならないという具合に、国民投票の対象になりうる事項を仕分けしている国もある。また、ウクライナでは、租税、予算および大赦については、国民投票の対象にしてはならないというように禁止事項を限定している。逆にマケドニアのように、領土の変更に際しては、必ず国民投票に付さなければならないと規定しているところもある。
 最後に、多くの国家は、国民投票の結果を最終的なものとしているが、コロンビアやフィンランドなどでは、諮問的としている。国民投票制度につき、もっとも豊富な事例を有するスイスでは、義務的国民投票(憲法改正のほか、集団的安全保障機構または超国家的共同体への加盟など)と任意的国民投票(連邦法律、一定の国際条約など)とに分けて、詳細な規定をほどこしている。

6 憲法裁判所
 規範審査には、具体的規範審査型と抽象的規範審査型があり、わが国の憲法体制がアメリカの影響を受けて、前者を選択したことは、いうまでもない*18。前者の具体的規範審査型には、たとえ法律の制定時に違憲であっても、具体的な訴訟が提起されない限り、その違憲状態が続くこと、違憲判断は当該事件についてのみ効力をもつと考えられているので、法律が改められない限り、違憲状態が改善されないなどの問題点がある。
 このような問題点を解決するために、法律ができた時点で、たとえ具体的な事件が発生しなくても、当該法律の違憲性を審査するという抽象的規範審査制が考案された。
 いずれが優れているかは、いちがいにはいえない。ただ、抽象的規範審査制が時代の趨勢であることは、表をみればわかるように、一目瞭然である。90年以降に制定された憲法中、3分の2以上の国の憲法で抽象的規範審査制を導入している。
 表のなかで、とくに注目されるのは、かつて社会主義憲法をとっていたほとんどの国の新憲法で憲法裁判所を設置することを定め、抽象的規範審査制を取り入れていることである。周知のように、社会主義体制では、国権の最高機関は国会であり、国会の制定した法律の合・違憲性を裁判所が審査するという制度は、論理的に考えられなかった*19。しかし、現在では、旧ソ連圏(トルクメニスタンを除く11か国)、旧ユーゴスラビア、旧チェコから分離独立した諸国憲法のほか、東欧諸国の新憲法に導入されている。
 思うに、新しい違憲審査制を導入するにあたり、具体的規範審査型と抽象的規範審査型とを詳細に比較検討した結果、後者に軍配をあげたということであろう。

7 平和主義
 わが国では、いまだに日本国憲法が世界で唯一の平和主義憲法であると誤解されているむきがあるようだ。しかし、2001年8月に私が調査した段階では、少なくとも148の憲法になんらかの形で平和主義条項が取り入れられていることが判明した。本表が明白に示しているように、1990年以降に制定された81の憲法中、79か国にのぼる。ほとんどすべての国家といってよい。いまや憲法を作成するに際して、平和主義条項を導入することは、ごく普通の現象になっているといえる。
 平和主義条項の態様を示せば、おおよそ以下のようになる。
 @平和政策の推進 ナイジェリア、クロアチア、エストニア、ジブチ(平和を国のモットーに)、アルバニア(平和を最高の価値に)など。
 A他国(民)との平和的共存ないし友好関係 ガーナ、ラオス、ベトナム、アンドラ、ニジェールなど
 B内政不干渉 トルクメニスタン、ウズベキスタン、エチオピア、ベラルーシ、スーダンなど
 C非同盟政策 ナミビア、アフガニスタン、モザンビーク、ネパール、ウガンダなど。
 D(永世)中立国家 モルドバ、カンボジア、カザフスタン、スイス。
E軍縮を標榜 モザンビーク、カーボベルデ。
F平和的国際組織への国権の一部委譲 ポーランド、アルバニア(集団安全保障体制への参加)。
G国際紛争の平和的解決 マリ、マラウィ、アルジェリア、キルギス、中央アフリカなど。
H侵略戦争の否認 キルギス、グルジア、モザンビーク、パラグアイ、アルバニア(軍隊の海外派遣の原則的禁止)など。
I武力の不行使 リトアニア、ウズベキスタン、ベラルーシ。
J国際紛争を解決する手段としての戦争放棄*20 アゼルバイジャン、エクアドル。
K外国の軍事基地の非設置 アフガニスタン、モンゴル、リトアニア、ウクライナ、カンボジアなど。
L核兵器の禁止・排除 コロンビア、パラグアイ、リトアニア、カンボジア、ベラルーシ。
M軍隊の行動に対する規制(シビリアン・コントロ−ルなど) ガンビア、南アフリカ、エリトリア、ユ−ゴスラビア、カ−ボベルデなど。
N戦争の煽動(宣伝)禁止 クロアチア、ルーマニア、スロベニア、南アフリカ、ベネズエラなど。

8 国民の義務など
 表では、国民の義務として、スペースの関係から、国防・兵役の義務を中心に摘記したが、それだけでも、非常に多くの国で憲法に明記していることが理解できる。ほかの義務としては、国への忠誠(アルバニア、スーダン、モルディブ、ポーランド、アゼルバイジャンなど)、憲法・法律の遵守(ベネズエラ、エクアドル、アルジェリア、ウクライナ、ニジェールなど)、他人の尊厳、権利をおかさない義務(ナイジェリア、アルバニア、エリトリア、カザフスタン、アルメニアなど)、親と子ども双方にそれぞれ面倒をみる義務を課している諸国(アケドニア、クロアチア、ロシア、ギニア、モルドバなど)など、まさに千差万別である。
 非常事態対処規定は、表にかかげた諸国のうち、ボスニア・ヘルツェゴビナを除くすべての諸国憲法に規定されている。ボスニア・ヘルツェゴビナ憲法は、いわゆるデイトン合意の一部なので、他国憲法とは違った視点が必要である。わが国憲法のように、非常事態対処規定をもっていない憲法は、異例中の異例である。
 その他、若干の項目の項目と採用国については、欄外に記しておいた。

9 一応のまとめとして
 以上、1990年以降に制定された諸国憲法の動向を概観してきた。憲法とは、それぞれの国の歴史、文化、伝統を反映するものであって、諸国憲法の動向に左右されなければならないという性格のものではない。しかしながら、なぜそのような動向を示しているのかは、十分に吟味されなければならない。
 本稿が、そのひとつの参考になれば、幸せである。



*1 バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)のほか、アルメニア、アゼルバイ ジャン、ベラルーシ、グルジア、カザフスタン、キルギス、モルドバ、タジキスタン、 トルクメニスタン、ウクライナ、ウズベキスタンがソ連邦から分離独立し、それぞれ新しい憲法を 制定した。またロシア連邦自身も、1993年12月に新憲法を作成した。、
*2 1991年6月にスロベニアとクロアチアが、ついでマケドニアとボスニア・ヘルツ ェゴビナが、それぞれ独立し、またセルビアとモンテネグロが新ユーゴスラビアの形成 を宣言した。
*3 1993年1月にチェコとスロバキアが分離した。
*4 以上につき、みよ。拙著『憲法体系の類型的研究』(成文堂、1997年)121  頁以下。
*5 これら両憲法の概説については、みよ。拙稿「二つのミレニアム憲法ースイスとフィ ンランドの新憲法についてー」(『駒澤大学法学部政治学論集』第53号所収)。
*6 ギニア、ブルキナファソの両憲法は、1981年6月に採択された「人および人民の権利に関するアフリカ憲章」(バンジュル憲章)の遵守をうたっているが、同憲章24条には、次のような規定がある。「すべて人民は、その発展に好ましい一般的に満足す べき環境に対する権利を有する。」
*7 「人間環境宣言」26原則は、以下のような規定である。「人とその環境は、核兵器 その他すべての大量破壊手段の影響から免れなければならない。各国は、関連する国際 的機関において、このような兵器の除去と完全な廃棄について、すみやかに合意に達す るよう努めなければならない。」
*8 芹田健太郎編訳『国際人権規約注解』’(有信堂、1981年)102頁。
*9 佐藤達夫『日本国憲法誕生記述』(中公文庫、1999年)66頁。期
*10 これらは、バンジュル憲章18条4項「老齢者および身体障害者もまた、その肉体的および精神的な必要に応じて、特別の保護措置を受ける権利を有する。」の影響を受 けているものと思われる。
*11 Gionanni Sartori,Comparative Constitutional Engineering,Macmillan Press,1996,p.37.邦訳は 42頁。
*12 大石義雄『国民投票』(関書院、1957年)1頁。
*13 大西邦敏「欧州諸国戦後の新憲法に於ける国民投票制度」(『早稲田政治経済学雑   誌』第16号所収)
*14 David Butler & Austin Ranney,Referendums around the World,1994,pp.13-17.
*15 大石、前掲書、98頁。
*16 小林昭三『比較憲法学・序説』(成文堂、1999年)190頁。この場合、立法については、議会人は専門領域に通ずるプロないしセミプロとみて、これらの集団は、奥深い知識をもち、専門領域に精通する反面、視野限定になり、民衆の生まの感覚から遠ざかりがちになる。そんなとき、素人の目の健全、新鮮が役立つことが少なくないと判断するのである。
*17 Markku Suksi, Bringing in the People:A Comparison of Constitutional Forms and Practices of the Referendum.,1993,pp.137-139. .
*18 これが、通説・判例の立場であるが、わが国の最高裁判所が抽象的規範審査権をも つことを否定されていないという立場もある(佐々木惣一『改訂日本国憲法論』、田畑 忍『日本国憲法条義』など)。
*19 もっとも、旧ユーゴスラビアの1963年憲法には、憲法裁判所が存在していた。 そこでは、論理的に憲法裁判所を国会(最高会議)の上に位置づけることは許されない ので、 独特の措置がなされていた。その簡単な説明は、拙著『よくわかる平成憲法講 座』(TBSブリタニカ、1995年)213頁参照。
*20 わが国憲法9条1項と同様の規定方式である。しかしながら、この規定をもつアゼルバイジャンも、エクアドルも、国防・兵役の義務規定をもっている。


続 き

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